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2008年 01月 14日

一つ一つの歴史 ~西村のひとり言~

『新幹線とポートライナーと私』

新幹線の「0系」の引退、中央リニア新幹線の実用化を聞きました。ポートライナーの乗客となって、「日常の足」として走る様に、年末の感慨を覚えました(12月30日記)

私は、昭和39年4月、熊本から神戸に出てきて、日本エヤーブレーキ㈱(ナブコ)に就職した。その年は、東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通した。私は先輩の指導で、鳥飼基地で新幹線車両のドア装置のメンテナンスを担当する機会があった。
最近の報道で、鼻の丸い「0系」と呼ばれる最初の車両は、今後製造中止となることを知った。「0系」の引退である。少し寂しい思いがする。

一方、JR東海から2025年に首都圏と中部地区を結ぶ中央リニア新幹線開業の発表があった。いよいよリニア新幹線も現実のものとなるのかと感慨を新たにした。ナブコの技術者がリニア新幹線の支持脚等の開発を進めてきた。国内最大級の高速実験装置が設置され、震災後も意欲的に進められてきたことを私も見てきた。

今年から、4月29日は「昭和の日」として国民の祝日となった。
思えば、昭和56年5月25日に、国内初の無人運転電車「ポートライナー」に昭和天皇・皇后両陛下がご乗車された。その時の思い出は、今なお私の胸に深く刻まれている。
当日、私と木谷職場長は中公園駅で待機し、トラブル対応に備えていた。
無事にご乗車が終わったときは、ほっとした。
翌日の新聞には、「コンピューターで動かす珍しいポートライナーに乗って、静かで、便利で、居心地がよかった」と天皇陛下のご感想があった。

最近は、神戸空港、大学の開校で利用者が急増した。25年の歳月を経て、やっとポートライナーはその真価を発揮することになった。
ホームドア装置も新しい世代の人によって、より信頼性の高い装置に置き換えられた。
当時、ホームドアの設計担当の久保田技師・山根技師の粘り強い改善努力を思い出す。

このポートライナーのホームドア装置の開発・製造にたずさわり、定年を前にして亡くなった岡、杉浦、沢田、島、笠原、木谷、蓬莱の7人の先輩・同僚がいる。
私は、このポーアイに移り住んで26年、亡くなった先輩・同僚の冥福を祈りながら、毎日、仕事に出かけている。

by iso-kis | 2008-01-14 00:00


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